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自称朝日新聞(機関誌部落差別)社員は、自宅を外国人に開放しなよ

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なんかもう論評するのも疲れる文章が2014年3月20日付の天声人語に登場。

 

★天声人語 2014年3月20日付

聞いてみるものだ。やきそばなどで有名になった「B―1(ビーワン)グランプリ」は、いわゆるB級グルメが集う催しというと間違いになるという。B―1のBは地域ブランドのB。「ご当地グルメでまちおこしの祭典」という位置づけだ

▼たしかに以前は「B級ご当地グルメの」と称していたが、いきさつがあってB級をはずした。くわしい説明は祭典の公式サイトにある。主催団体の「愛B(アイビー)リーグ」事務局に電話をしたら教えられた

▼なぜ電話をしたかといえば、愛Bリーグの相談役でグランプリの審査もしている石毛直道(いしげなおみち)さん(76)がきのう、南方熊楠(みなかたくまぐす)賞にきまったからだ。世界的な碩学(せきがく)にちなみ、博物学や民俗学ですぐれた業績をあげた人に贈られる。石毛さんは文化人類学者で、国立民族学博物館の元館長である

▼世界の食文化をテーマに新しい学問を切り開いた。対象は民衆の食べものだ。現地で食べなければ絵に描いた餅だと、アジアやアフリカを「鉄の胃袋」で制覇した。B―1とのかかわりも、むべなるかな

▼酒も大好き。作家で友人の故小松左京さんがつけた「大食軒酩酊(たいしょくけんめいてい)」の雅号を気に入っている。日本酒を愛し、日本文化を愛する。清酒を復権させる活動にも携わる

▼隣人が外国出身の人、それが当たり前になって日本はやっと普通の国になる――。14年前、参院の憲法調査会での発言を思い出す。将来の国のかたちについての意見だった。日本を愛することと世界に開くことの調和を、一身に具現しているような人である。

(引用ここまで)

 

>日本酒を愛し、日本文化を愛する。清酒を復権させる活動にも携わる

そもそも「日本酒を愛する」ことが、「日本文化」を愛してることを必ず意味するわけではない、ということを、天声人語の筆者たるものが全く理解できていない点からして大脱力である。こんなにも天声人語の筆者は言語力と想像力がなくなった(元からなかった)のかと愕然とする。

※「清酒を復権させる活動にも携わる」という部分から、石毛氏が「日本文化を愛している」点は、「日本酒を愛している」ことしか伝わってこない。少なくともこの書き方では。

例えば、日本酒だけを愛し、つまみはピザが最高、などと言っているとしたら、石毛氏は何も「日本文化」なんぞを「愛して」はいない。

むろん、そういう態度が「悪い」「ダメだ」と言うつもりはない。しかし、「それは日本文化などではありませんよ」という事実は全く変わらない。天声人語の筆者の知能はIQ70くらいなのだろうかねえ。

 

>隣人が外国出身の人、それが当たり前になって日本はやっと普通の国になる

>日本を愛することと世界に開くことの調和を、一身に具現しているような人である。

 

「隣人が外国出身の人」であることが「当たり前」になって、日本はやっと「普通の国」になると言っているのが石毛氏だと。そういう発言をする石毛氏を、「日本を愛することと世界に開くことの調和を一身に具現しているような人」 と賞賛しているわけだ。

 

だったら、この天声人語の筆者だけでなく、自称朝日新聞(機関誌部落差別)の社員全員が、自宅を外国人に開放するべきだろう。それが、日本を「普通の国」にする方法だと思っているのだから。え?いやなの?だったら「普通の国」発言を賞賛している発言の責任はどこにあるのだ?

 

「普通の国」の条件なり基準なりを全く示さないまま、自分たちができないことを「普通の国」の条件として掲げる人を賞賛する。あまつさえ「調和を一身に具現している」などという言葉を使って。しかも、こうやってつつかれると

「いや、それは石毛氏の発言ですから。私がやるとは言っていません。むしろ、私ができないことを提言しているからすばらしいのです」

などと逃げる気満々なのだろう(苦笑)。

 

こういう、困ったら他人のせいにする戦前の日本人の心性を、戦後左派の代表的論客であるあの丸山真男は「無責任の体系」と呼んだ。

「左派(リベラル)」の「クオリティペーパー(高級紙)」を自認する機関誌部落差別が、みごとに同じ轍を踏んでいるのは、自紙が「高級紙」などでは全然ないということを認めているのと同じだ。 

 

こういう「天声人語」を書写させたり、「生徒が作る天声人語」などのように、マネまでさせようとしている予備校があるが、どんだけ頭にウジが湧いているのだろうか。まあそういうところに通っている生徒は落ちるだけだから、他予備校にいる私としてはむしろ好都合(笑)なのだが。

 

※ちなみに、「できないことを提言している」から「すばらしい」という論理もおかしい。「できないことを提言」しているのなら、「それはできない」のだから、「できないことを言うな」という批判になるはずだ。機関誌部落差別の記者上がりというのは、頭の論理構造も「無責任の体系」の中で、ねじ切れんばかりに曲がってしまったようだ。

 


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