カポーや家族で観ないという条件で70/100点。
カポーや家族で観ても、観た後冗談にできるのなら80/100点。どんな条件やねんw
誰と観ても、観た後シリアスな議論をしたくなるのなら20/100点。
うん、我ながら的確な点数づけである(笑)。
なにゆえに私なんぞがまどか★マギカを観ているかと言うと、TBSラジオ木曜深夜の『おぎやはぎのメガネびいき』つながりである。彼らが観ていなければ、私もこの作品に触れることはなかったであろう。きっかけはいつも単純だ。
で、テレビの連続アニメのときの特徴は、エヴァンゲリオンとそっくりで、
「絶望の極みを追求する」
だったのであるが、この映画(テレビドラマの続編という位置づけになる)は、それと同方向と見せかけて、実際はその「絶望の極み」をすくいまくろうとしているのが特徴だ。もちろん、「すくいまくる」の「すくい」とは、「掬い」と「救い」のことだ。
映画中、ほむらが目をつけた「容疑者」の「順番」が
「そりゃ全然違うだろ。まずは○○からだろ!!」
と決定的なツッコミがまず入ってしまう点で、脇ががら空きの連続アニメと同様に、ドラマとしてのリアリティを自滅させてしまっている点は残念なのだが、それを補って余りある、
「テレビシリーズでは○○だったが、○○じゃなければよかったのに!!」
という、仮定法過去完了形そのまんまの願望にことごとく応えようとしている姿勢が高評価である。
これを哲学的(?)に裏返せば、
テレビシリーズでは「絶望」だったストーリーを、
映画版では「願望」として描き直している、
となるわけで、私のような、鈍感力満点のバカ日本代表が、ゆる〜く楽しむにはかなり高得点な映画となっている。
だから、あえて言おう。容疑者の順番にツッコミを入れることすらできずに、
やれ「伏線の回収があーだらこーだら」だの、
やれ「キュウべえの目が同じ」だの、
やれ「ここだけわかんないんだよな〜」だの、
賢しげに語るでない、愚民どもよ(笑)。そのレベルは「バカ日本代表よりバカ」なゾーンだ。「この物語は、リアリティをあまり重視していないフィクションです。」で全て答えになる。
次に、お金以外に、この製作チームが何を理由として、ここまで客にサービスサービスぅ♪するような映画を作ったかも大胆に書いてしまおう。
それはズバリ、こいつをやっつけるためだ!!
<公式サイトより>
で、やっつけられているかどうかはネタバレあり編で書くことにしよう。
『半沢直樹』で言えば、大和田常務がキュウべえで、半沢直樹がほむらだと思えばよい。
さて、半沢直樹は大和田常務を最終話で土下座させることができるのかっ???
と、同形の物語と思えば、どれだけenjoyできるかが、こういうフィクションの最高の楽しみ方だとわかるだろう。
そういう意味では、『エヴァンゲリオン新劇場版 Q』は、本当はこういう物語にしたかったのだろう。庵野秀明はきっとさぞかし、「やられたー!!」と、ほぞをかんでいることと思う。
というわけで、元気が残っていたら、引き続き、思いっきりネタバレあり編を書く。