というわけで、なぜか「年イチ」ペースになりつつあるエンタメ批評、久しぶりに行きますか!『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』です!!(「ネンイチ」と「パンイチ」は似ている。いやどうでもいいです。すみません。)
だがしかし・・・
・・・・・オイオイ、これ、「アンフェア the answer ネタバレなし編」より100倍は難しいぞ、「ネタバレなし」でこれを語るのは・・・。
必死に悩んだ末、まず点数から。意外にも「新劇場版」の「序」「破」「Q」の中では最低。55/100点。「破」が80点以上だったので、この低さは私にとっても意外だったし、残念だった。「序」も70点以上はあげられる、私としては。
しかし、「Q」は55点。それはなぜか。主に理由は二つ。
1 展開上、ある程度はやむを得ないとしても、「そこでその感情が出てくるか?」というくらい、キャラクターが場面場面で出す感情が、一般的なリアリズムから言っても不自然すぎる。ムリヤリ過ぎる。
2 上映時間が短い。公開をあと1年延ばしたってファンは観る。「そこはもうちょっと説明しろよ!!」というところが、いかにも「人手不足、時間不足」でカットしました、的な作り方で、粗雑だと言わざるを得ない。
↑ちなみに、「だがそこがいい」などと言いたがる諸君のために、後日書く予定の「ネタバレあり編」で、その予想反論にも徹底的に再反論させていただくのでお楽しみに(笑)。
あ、一つ言えるか。同時上映の『巨神兵東京に現わる』なぞいらん。東日本大震災の後にこれを強制的に見させられても、「何やってんだよバーカ」としか、言う言葉がない。これを抜いて本編が95分。『破』が98分。『Q』の95分は『破』の108分と比べて薄いのなんのって。設定の複雑さがない、というのではなく(そんなのは他のブログ様を見ていただければ一瞬でわかるだろう(笑))、「人間たち」の描き方が、この上なく薄くなっている、ということだ。『序』や『破』でグッと来る前提となっていた、「人間を丁寧に描く」という作業で完全に失敗している。もしくは、途中で突貫工事モードにでもなったのか、そのせいで手を抜きまくっているのかも知れない。
だったら、納得のいく脚本なり設定なりを作り直して、1年でも2年でも上映を遅らせろよ。その方がよほど私はうれしい。だって、映画は永遠に残るんだから。その中での数年なんぞ、屁でもないわ。
1についても、ネタバレをしないことには具体的に何も言えないので、どうしても抽象的な言い方になることを許していただきたい。各キャラが、この『Q』でのような言動を連鎖させるような脚本にしていること自体が、監督である庵野秀明の、人間観の薄っぺらさを余すところなくさらけ出しているということだ。
例えば、
・本気で「殺す」ということは、「自分の命に代えてでも殺す」ってことだろ?
・「自分の命に代えてでも殺す」という覚悟もなく、ワーワーギャーギャー騒ぐのなら、それは「ままごと」だろ?
・この『Q』の世界でそんな「ままごと」を1時間以上も見せることができる監督って、普通にバカだろ。
このように、各キャラの「ままごとぶり(ぬるさ)」と、「厳然たるこのQの世界」のギャップが、限りなく、「Qの世界」にどっぷり浸かることを阻み続ける。だからひどいのだ。
ミサトやリツコ、碇ゲンドウや冬月などのいわゆる「大人軍団」も、
「そのシチュエーションでそのセリフか?あ゛???」
が連発である。いやもう全然ダメです。話にならない。
福田和也がいつぞやの『週刊新潮』で、『アウトレイジビヨンド』の批評をしていたが、そこで以下のようなことを言っていた。記憶に頼っているので、細かい言葉遣いは違うだろう。
・『アウトレイジビヨンド』について 福田和也
俳優は小日向文世を始めとして、いい俳優を揃えているが、その俳優たちに、ただの「記号」としての「セリフ」しか語らせていない。それぞれのキャラクターの後ろには、それぞれの人生があり、その人生があってその言動、そのセリフ、という基本構造があって、「その映画の世界」を作ることができる。こういう描き方をしていないということは、この映画では、そういう「作り込み方」をしていないということだ。結局、この作品は、『アウトレイジ』と何が違うのかわからない。
こういうのを、演劇用語では、「段取り芝居」と言う。「段取りゼリフ」とも言う。どちらも、演劇や演技批評としてはかなり「最低ランクの評価」の部類に入る。
私は『アウトレイジビヨンド』は観ていないが、福田和也のこの気持ちはよくわかる。私は『Q』は観たので、『Q』についてはしつこく、こう繰り返せる。
しつこいが、『Q』は、『序』と『破』に比べて、その「段取り芝居感」が半端ない。3倍〜5倍くらいの「ふやけ具合」である。それと、この上映時間の短さを合わせれば、これまたしつこいが、
あと1,2年遅らせてもいいから、もっと「人間」をしっかり描け!
という感想になるのだ。
ではなぜ30点や50点ではなく、55点なのか。いやもうぶっちゃけて、ミサトのコスチュームだけで30点分ですわ(笑)。←これはギリギリネタバレじゃないよね?よね?(苦笑)
あとの25点のうち15点は、ミサトのセリフにだけ、「あ、リアルな人間なんだな」と感じさせるものが数回、それぞれ一瞬だけ入っていたからだ。セリフだよ?あのシーンは「しぐさ」だからな?そこんとこ勘違いすんなよ?噛みつきたがり屋クンよ(笑)。
そして、残りの10点は、
・愛するということは、本気で殺し合える、ということ
に、気づかせてくれたことかな。まさに「仁義なき戦い」である。
この曲を胸に刻みながら、近日中にあと何回か観て、いよいよ「ネタバレ編」を書く。
こうして書いてみれば、ほぼミサトだけで、この映画全体を引っ張っていたということか、『Q』は。 三石さん、GJでした。
※これから観る方へ
「ストーリーを『理解』したい!」と思うのであれば、新劇場版の『序』と『破』だけでなく、テレビシリーズと、前の映画(後半の方だけでいい)も早回し(笑)でいいので、ざっと観ておくといいでしょう。
ただ、私にとってはこの「新劇場版」のシリーズは、「ストーリーを理解する」というものではない。テレビシリーズと前の映画で、最後に「投げちゃった」と言われ続けている庵野秀明が、この映画でどれだけそう言う輩に映画で反論するのか、それを見たい。その点で言えば、ストーリーを「理解」することなんぞ、二次的、三次的なものにすぎない。
庵野秀明、観客のタマ取ってみーや!!!(パパパ−!パパパ−!!←仁義なき戦いの影響)