そもそも今回の参議院選挙は、
「反安倍晋三政権」
という言葉を結節点にして、野党が束になって「共闘」しなければ、まともに議席が取れない、というところまで、野党自身が自らを追い込んでしまった、というところに、一番の救いようのなさがある。
その原因も、これまた野党自身が、ただ「反自民」「反安倍」と叫んでいれば支持者は増えるだろう、と思ってきた、野党自身の怠慢にあるので、フォローできる余地は1ナノメートルもない。
野党は勝手に自滅しろ、としか言いようがないのだ。
健全な議会制民主主義にとって、いつでも与党に取って代わることのできる野党の存在というのはきわめて重要なことくらいわかっているが、ここ数年の、民主党だか民進党だかよくわからない政党を始めとして、社民党、共産党、国民の生活が以下略などの政党は、自分たちがその
「いつでも与党に取って代わることのできる野党」
であるための努力を自ら放棄してきた以上、情状酌量の余地はどこにもない。茂木健一郎あたりがツイートで必死に民進党あたりにフォローを入れているのも、この点を完全に無視できているからであって、ここに茂木健一郎が自称脳科学者でありながら、自分の脳のレベルがあきれるほど低いということを毎日全国にさらけ出している痛さが存在する。
言うなれば、「いつでも与党に取って代わる野党」がなくなることで、日本の議会制民主主義が腐敗するならば、その責任は自民党や公明党にあるのではなく、民進党や共産党を始めとする、野党自身にしか存在しえないのだ。
考えてもみるがいい。なぜ「与党」である自民党や公明党が、わざと「野党」が「育つ」ような政策をしなければならんのだ?こういう発想を持つ連中は、どこまで脳内が乳児レベルなら気がすむのか、あきれてそりゃブログ記事を書く気にもならんわ、ということだ。
「反安倍晋三政権」というフレーズを野党共闘の結節点とすることが、なぜ「救いようのないこと」なのかも、実に簡単なことだ。「反安倍晋三政権」という言語表現の中に、具体的な政策やその方針を意味する記述を、これまた1ナノメートルも読み取ることができないからだ。これは、キリストやブッダが固く禁じた「偶像崇拝」と、論理構造的には同型だ。
キリストやブッダが偶像崇拝を固く禁じた理由は、たとえば
「ここにブッダの像がある だから ここで(別の人によって)なされた発言は正しい」
という「ロジック」は、自分たちが伝えたかったこと、自分たちが、自分を信じる人に実践してほしいと思っていたことを、何ら実践することにはつながらないということを普通に理解していたからだ。すなわち、
「ブッダの教え」は「ブッダという人格の存在」とは全く別次元の事象であり、
「キリストの教え」も、「キリストという人格の存在」とは全く別次元の事象であるからだ。
こんなこともわからないのが、「反安倍」しか叫ばない野党のゴミクズどもである。
偶像崇拝が、その偶像の対象物の「思想」を何ら体現することにはつながらない。
ならば、
その偶像を破壊することも、その偶像の対象物の「思想」を何ら破壊することにはつながらない。
「反安倍」という言語表現は、「安倍晋三という人間の思想」を「否定」したくて、野党のゴミどもが必死に叫んでいるものであろうと推測するが、「安倍」とか「安倍晋三」という言語表現が、何を意味するのか、すなわちその「意味内容」を、野合するゴミどもは、ゴミなりにすりあわせていなければ、
「じゃあ安倍政権が退陣したら、野党連合は何をするんですか?経済政策の方針は?消費税は?法人税は?防衛政策は?日米関係は?」
などという、至極まっとうな質問に対して、何も答えられないであろう。
それを如実に示す証拠がこの文章だ。
日本共産党の参院選法定2号ビラ 自衛隊どうする? 疑問にお答えします (赤旗 2016年7月1日(金))
(前略)
◆野党共闘に、安保条約や自衛隊についての 独自の政策をもちこみません
自民・公明は、「安保条約や自衛隊など政策がバラバラだ」と野党共闘を攻撃しています。しかし、野党4党は、「安保法制廃止、立憲主義を取り戻す」という大義で結束しています。「立憲主義を取り戻す」とは、憲法を守るまっとうな政治を取り戻すということ。あれこれの政策のちがいはあっても、それを横においてでも最優先でとりくむべき仕事です。
この立場から、共産党は、野党共闘に安保条約や自衛隊についての独自の政策をもちこまないことを、当初からつらぬいています。
野党共闘は野合どころか、市民の願いにこたえ、日本に民主政治を取り戻す希望です。
(ここまで)
日本共産党という政党は、確か、学歴が高い人が党員になってるはずなのだが…。ウソなのか?
>野党4党は、「安保法制廃止、立憲主義を取り戻す」という大義で結束しています。「立憲主義を取り戻す」とは、憲法を守るまっとうな政治を取り戻すということ。
ここで、日本共産党は、「立憲主義」を明言しているし、その定義もしている。「憲法を守る『まっとう』な政治」が、「立憲主義」ということだ。
しかし、その上段に、こんなことが書かれている。
(ここから)
◆救援・復旧にあたった自衛隊員を 海外の戦地に送ってはなりません
いま、問われているのは、自衛隊が違憲か合憲かではありません。戦後60年余の「9条のもとでは集団的自衛権は行使できない」という憲法解釈を変えて、自衛隊を海外の戦争に派兵することを許していいのか、どうかです。
「専守防衛」の志をもって入隊した自衛隊員、熊本の震災救援・復旧のために汗を流した自衛隊員を、海外の「殺し、殺される」戦場に送っていいのかが問われているのです。
(ここまで)
>いま、問われているのは、自衛隊が違憲か合憲かではありません。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
あのさ、その下に、定義つきで、「野党4党は立憲主義を取り戻す、という大義で結束しています」って書いてあったよね?なのに、「いま、問われているのは、自衛隊が違憲か合憲かではありません。」ってなんなの??
自衛隊が違憲か合憲かは、「立憲主義」の定義に立脚したとき、どうでもいいことなのか?さらに上に書いているじゃないか。日本共産党が、自衛隊をどう考えているかについて。
(ここから)
◆憲法を守ることと、国民の命を守ることの 両方を追求します
私たちは、自衛隊は憲法違反の存在だと考えています。同時に、すぐになくすことは考えていません。国民の圧倒的多数が「自衛隊がなくても大丈夫」という合意ができるまで、なくすことはできません。将来の展望として、国民の合意で9条の完全実施にふみだすというのが、私たちの方針です。
それまでは自衛隊が存続することになりますが、その期間に、万一、急迫不正の主権侵害や大規模災害などがあった場合には、国民の命を守るために自衛隊に活動してもらう―この方針を党大会で決めています。
憲法を守ることと、国民の命を守ること―この両方を真剣に追求していきます。
(ここまで)
>私たちは、自衛隊は憲法違反の存在だと考えています。同時に、すぐになくすことは考えていません。
ハ?
言明1 自衛隊は憲法違反の存在だ。
言明2 野党4党は、立憲主義を取り戻す、という大義で結束している。
言明3 立憲主義とは、日本国憲法を守る政治のことだ。
これらの言明を組み合わせると、必然的に、以下の「言明4」が出てくる。
言明4 野党4党は、自衛隊を憲法違反の存在とみなすことが、立件主義を取り戻すときに、必然的に含まれる。
・・・これが「非現実的だ」と言いたいのはやまやまだが、ここで言いたいのはそれではなく、
・民進党は自衛隊が憲法違反だとか言っていないんだが。
この点に尽きる。つまり、『上の「言明1」は、日本共産党の私的見解にすぎない』ということを「野党共闘の前提」のなかに組み込まない限りは、上の言明1~3は矛盾なく存在することはできない、ということだ。
バカにもわかりやすく言えば、
・「立憲主義」の意味が、自衛隊の存在一つ取ったってそんだけ違うのだから、君らの言う「立憲主義」という言語表現は、ゴミほどの意味も持ってないだろ?ただの「反安倍」の言い換えとして使ってるだけだろ?
ということになる。
で、「反安倍」という言語表現に、一つの「具体的政策 or 政策方針」も含まれていないことはさきほど示した通りなのだから、結論として、
・野党4党の言う、「立憲主義を取り戻す」も、「反安倍」も、「アベ政治を許さない(笑)」も、何も言っていないのと同じだ。
となるわけだ。
そんな「野党連合」に、ある程度知能が高い人の中で、誰が一体投票するのかね? ←英作文の問題にしてもいい文だな(苦笑)。
※それでも「野党連合」に意味があると思っている人のために、少し補足しておこうか。
野党連合の一員である民進党の玉木雄一郎国対副委員長は、6月末のテレビ朝日「朝まで生テレビ」において、田原総一朗に、「民進党は、安保法制をなくした後どうすんの?」と聞かれ、
「周辺事態法などを見直す。現与党が安保法制で実行しようとしていたことは、個別的自衛権の範囲内で全て実施可能だ。」
と明確に述べている。私がたまたま生で見ていたからまちがいない。
この発言は、その意図において、「現与党が防衛政策において実行しようとしていたことは、民進党でも実行しますよ」と宣言しているのと同じなのだから、上に挙げた日本共産党の
・自衛隊は違憲だ。
という言明or見解or立場とは、どう逆立ちしても両立しえない、ということになる。
この、「野党4党連合」で、防衛政策は何をするの?誰でもいいから、明確に言えることがあったら教えてほしいものだよ(´ω`)
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