かわいそうな人がしつこく絡んできたのも、藤原和博によるこの「晒し」がきっかけだね。
番組中でも、「先ほどの『心のノート』、視聴者からの反響がものすごい」と製作者サイドが村上アナに言わせてたし。
https://twitter.com/shiro123456/status/305010512201146368
藤原、「この学級に正義はあるか!」と心のノートを批判。なるほど。藤原もバカか。そのテーマで「正義とは何か?」と徹底討論するのが「道徳」の授業だろ。道徳の授業の意味が全く理解できていない藤原和博。
#asamadetv #asanama #tvasahi— 白河さん (@shiro123456) 2013年2月22日んでそのときのキャプチャー。
「『心のノート』の中にこんなページがある。『正義』の定義もしていないのに、なんでこんな教科書が作れるんだ!」と、『心のノート』を猛烈に批判。
それを受けて私の上のツイート。
でこの人の経歴。例の、「リクルート出身で、杉並区立中学校の民間人校長になった人」。
・・・これで、東京学芸大学の客員教授になってたのか。「このレベル」で。何か学術論文とか書いたのかこの人??和田中学校での実践を、教育学の応用例として論文くらいにはできるだろ??
しかし、上のような「紋切り型の批判」しかする能力がない、あとは
「ななめの関係」
「ななめの関係」
「ななめの関係」
「ななめの関係」
(以下略)
と、ひたすら「デキるリーマン」らしく、自分が広めたい言葉を、時間を置いてひたすら連呼する。
全く、教育の実践において、学ぶべきところを感じることができないトノサマである(苦笑)。
いやはや、こういう紋切り型(ステレオタイプ)な批判に対しては、上に貼った私のツイートに尽きる。
私はこうもツイートした。
藤原和博よ、心のノートに「正義とは○○だ」と定義されている方が、よほど君らとサヨクが言う「教育への政治の介入」に近いだろ?藤原ってただリクルートで成功したリーマンだったんだな。よくわかる。
#asamadetv #asanama #tvasahi— 白河さん (@shiro123456) 2013年2月22日
うーん、追加して説明する必要性を特に感じない。要するに、藤原和博と『心のノート』に反対する人々は、
1 「正義」が定義されていない → 「なぜ定義もせずにこんな教科書を作るんだ!」と反対する。
2 「正義」が定義されている → 「なぜ『正義』を国が定義できるんだ!教育への政治の介入じゃないか!」と反対する。
以上。ただ「両刀論法(相手がどっちの主張をしても、結局それを否定するだけという論法)」をしたがっているだけである。
一事が万事、『心のノート』に反対する連中が取る態度である。試しに、現実に反対している人に、上のロジックの流れを意識して聞いてみてごらん?
そして、片方の筋道で予想通りの反応(笑)をしたら、
「逆に、こうだったらどうなの?」
と、反対側の筋道で反応がどうなるか聞いてごらん?特に、
・「上の1について相手が怒るのを確認した後で、『もし上の2だったら?』と聞いてみる(もちろん1とか2とかは、自分なりにしっかり覚えてから言うべし!)」
のがオススメ。わかりやすいから(笑)。
あとは「ゆとりの親玉」あるいは「ゆとりの王様」こと元文科省官僚の寺脇研が、また思いっきり同一発言内で自己矛盾していたのには大笑いした。その他2,3個くらいか、見どころだったのは。
寺脇研の自己矛盾発言炸裂。「体罰は原則いけないんだ」の直後に「絶対に体罰はいけないんだ」と重ねる。「原則」と「絶対に」は全く意味が違うぞ、ゆとりの親玉クンよ。 #asamadetv #asanama #tvasahi #寺脇研
— 白河さん (@shiro123456) 2013年2月22日
寺脇研の顔を知らない人へ。
寺脇研の「文部官僚を辞めてから」のことを知らない人へ。
上の経歴紹介にあるように、「戦争と一人の女」なんていう映画をプロデュースする前に、
・「私が、日本国内の公立学校では『ゆとり教育』を徹底的に推進したのに、官僚を辞めた後、『詰め込み教育』で有名な『コリア国際学園』の理事になった理由」
というタイトルの映画でプロデュース、脚本、主演、監督をやってほしいのだが。
そりゃコリア国際学園では、3カ国語を徹底的に叩き込むのだから、「ゆとり教育」なわけはないよね?寺脇さんよ。
「コリアンとしての民族教育 ならば ゆとりでない方がいい or ゆとりでなくていい」
というロジックが、どうしても私には思いつかないので、誰か思いついたらコメント欄でご教示いただきたい。
藤原和博と言い、寺脇研と言い、司会の田原総一朗と言い、教育についてしゃべる連中がこの程度のレベルだから、
ツイッターで絡んできたかわいそうな人のロジックレベル(logical consistency level)があの程度だったわけだ。
これでは、保護者の公立学校不信は、少なくとも東京圏では永遠になくならないだろう。文科省キャリアの子弟を、文科省キャリアが喜んで行かせるような公立学校を作らない限り、東京圏でのほとんどの公立学校は今のままだろう。